泉鏡花『高野聖』のジブリっぽさ

今さらながらに泉鏡花『高野聖』を読みました。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000050/card521.html

想像していたよりも読みやすかったです。もちろん細かい表現は現代ではあまり使われないものもありますが、宗朝(しゅうちょう)というお坊さんが旅で同席した若者に「語る」という体裁をとっていることがすんなり入ってきた要因かと思います。そしてこの宗朝さん、意外と俗っぽい物言いをするなと。発表された当時の読者にはどのように感じられたのでしょうか。

「女は怖い」という教訓で総括されがちなこの作品ですが、個人的に印象的だったのは女の家にたどり着くまでの山道を往くシーン。妙に蛇を怖がるお坊さんは可愛く思えるし、躰にまとわりつく無数の蛭を剥がしながら逃げるシーンは脳内でジブリの絵柄に変換されました(笑)。女の家で一晩明かす際に「魑魅魍魎」が集まってくるところなんかもまさにそれですよね。それにしても蛙の唐揚げをを間違って食べた時に慌てて胃薬を一袋飲んでしまうくらいの潔癖の人がよくこんな小説書けたなぁ、と。

そして宗朝さん、語り出す前に若者に

道連になった上人は、名古屋からこの越前敦賀の旅籠屋に来て、今しがた枕に就いた時まで、私が知ってる限り余り仰向になったことのない、つまり傲然として物を見ない質の人物である。

と指摘されています。かなり冒頭にこんな「知らんがな」と言いたくなるような描写があるので読者としては面食らいますが……。一通り読んでから、果たして女の家で一晩明かした際はうつ伏せだったのだろうか……などと考えてしまいました。

泉鏡花のプロフィールを調べてみると、

https://ja.wikipedia.org/wiki/泉鏡花

(満)17歳で尾崎紅葉に弟子入りし、19歳で処女作『冠弥左衛門』を新聞に連載。紅葉にどれだけ気に入られていたのでしょう。大学などには通っておらず、最短ルートで作家にたどり着いたその行動力は目を見張るものがあります。

気になったのは奥方すずさんとの馴れ初め。芸妓さんだったすずを見染めて同棲し始めたものの、それを知った師匠の紅葉が激怒して「女をとるか、師匠をとるか」と、まるで彼女のような物言いで鏡花に迫ったといいます。一旦は紅葉に従い別れたものの、それからすぐに紅葉がなくなり、結局二人は結婚したとのこと。このエピソード、『高野聖』を読んだ後だと「お坊さんが山に戻って女とくっついた」展開に思えてしまいます(いや、その図式だとすずさんに対して失礼にあたりますが……私が勝手に思えてしまうだけなのであまり気にせず)。

ちなみに『高野聖』は1900年(明治三十三年)発表、鏡花がすずと出会ったのは1902年。事実は小説より奇なりとは言いますが……。

LINEで送る
Pocket

コメントを残す